宮澤
その後、日本中の卸売市場が成長していきましたが、
平成元年の大田市場の開場で
本格的な市場間競争に突入し、
築地市場では再整備の計画が持ち上がりました。
さらにバブル崩壊後の平成4年をピークに
取扱高が減少していきます。
石川
元々、築地市場は現在地での再整備が計画され、
実際に平成3年から着工されました。
ところが、懸念されていた施設の狭隘が
予想を上回るものとなり、平成8年に中断されます。
それから豊洲への移転が決まる平成13年までの間、
築地市場全体が、方針も、
政策も、ふらついていたといえます。
しかもその間に大田市場が開場して青果の需要が集中し、
大田市場との格差が離れていきました。
東京中央青果と東京築地青果の青果卸売部門を
事業統合して14年10月に発足した「東京シティ青果」は、
将来的な豊洲移転を見越してのものです。
当時は卸2社制を支持する仲卸や
買参人の意見もありましたが、
単数でも変わらない機能を発揮することをめざしました。
宮澤
そして、あと3か月余りでいよいよ移転となります。
石川
老朽化した市場施設から一新し、
閉鎖型のコールドチェーンが確立される豊洲新市場では、
より新鮮な商材を供給できます。
促成品というこれまでの築地の強みを活かしながら
品揃えを強化し、海外輸出も視野に入れた
市場にしていきたいと思います。