築地市場には勝どき門、海幸橋門、市場橋門、正門、青果門と5つの門がある。 今回は青果門から入ってみるよ。 大きな車止めがあるね、武骨で太い鉄製だ。こいつが最初のスポットだ。
実はこれは昔の鉄道の線路を再利用した物。 1935年の開場当時は汽車による輸送が物流の中心で、築地市場には 鉄道の引き込み線が通っていたんだ。 遮断機跡と当時のプラットフォームの写真だ。
今も現役の青果置き場。 その屋根に目を向けると、いかにも駅のホームな形をしている。 当時はこんな車社会になると思っていなかったから、 鉄道を中心とした市場の設計がされていたんだ。
お次は「ハコバン」「ホーム下」などと呼ばれるエリア。 ここの天井に目を向けてみよう。太い鉄骨がぐにゃぐにゃに曲がっている! 実はこれ、太平洋戦争の際にアメリカ軍の空襲によって焼けただれたもの だそうだ。築地市場が戦争を乗り越えてきたタフな市場だとわかるね。 これを眺められるのも今のうちだ。
さあそしてここからがメインディッシュ 管理棟に上がる階段の下に、何やら金網に囲われた部分があるんだ。 良く見ると奥には階段が… そう。ここは一般立ち入り禁止の築地の地下空間につながっている! 今回特別に中に入る事を許されたのだ。 私も入るのは初めてだ…さあ行くぞ!
金網の扉を開け、鉄製の階段で地下に降りる。 この階段の下には、古いコンクリ製の階段が隠れている。 ここも築地市場の建設当時からあったという事だ… 階段を下りると、かなり頑丈な木の扉があって南京錠がかけられてる。 写真じゃわかりにくいが何とも怪しげな雰囲気だ…
案内人の石川さん、早く鍵を開けて早く鍵を開けて… え?どのカギかわからないって? 100本近くあるねそのホルダー! え?全部試す?おお、待ってますよ… あ、開いた!
おぉ~~~… ちょっとおどろおろどしい感じで、 実際ひんやりとしていて夏にはちょうどいいかな。 築地市場も防火扉やパネルで増改築を行ってきたが、 ここは木の扉と間仕切りで囲われている。本当に不思議な空間だ。
種明かしをしてしまうと、実はここは「防空壕」だったんだ。 先の鉄骨を溶かした空襲時に役に立ったのかは不明だが、 築地市場開場の1935年当時は、2年後には日中戦争がはじまる 相当キナ臭い時代だったという事だな。
しかしどうだい、このいかにも遺構というような雰囲気。 これは入った価値があるというもんだ。 今では資料庫として利用されている。 君も総務に入れば出入りできるかもな!
コンクリートの柱の太さは圧巻だ。 関東大震災を機に生まれた市場だから、相当頑丈に作られているのかな。 そういえばこの上をフォークリフトや巨大なトラックが 絶えず走っているはずだが、全く振動とかを感じない。 当時の建設技術に脱帽。
天井を見るとコンクリートに横線が走っている。 これは型枠の跡で、細い木の板を組み合わせたようだ。 ここが建設時から造られていた空間であることがわかる。 今はパネルで作るので、綺麗なコンクリ面が出来るが、 これはこれで味わいがあって好きだなあ。
ところで築地市場は、当時非常にモダンな施設として作られたんだ。
写真は管理棟だが、柱にあるアール面なんか
必ずしも必要でない上に職人の技術がいるもの。
洒落ていて良いものだと思うね。
それがなんと見えない地下室にもつくられているんだ。
設計者にも職人さんにも“粋”を感じるね。
※築地今昔第2回参照
今回は築地探検をしてみたが、どうだったかな。 地下室が面白かったので記事のほとんどを割いてしまったよ。 80余年人知れず存在してきた「築地の地下室」 もしかしたら初めて日の目を見たんじゃないかな。 良い記録になればと思うよ。 では、築地探偵団はここまで。 機会があればまた会おう!