築地今昔アーカイブ

ぼくらは築地探険団

みんな「築地市場」は知ってるかい?
野菜?フルーツ?マグロ?知ってるねー正解だ。

でも意外と知られていないのが
「築地市場」に点在する歴史の生き証人たち。
80余年の中で生まれた知られざるスポットが結構あるんだ。
今回はそんな「築地市場」の一面をのぞいてみよう。

築地市場には勝どき門、海幸橋門、市場橋門、正門、青果門と5つの門がある。 今回は青果門から入ってみるよ。 大きな車止めがあるね、武骨で太い鉄製だ。こいつが最初のスポットだ。

実はこれは昔の鉄道の線路を再利用した物。 1935年の開場当時は汽車による輸送が物流の中心で、築地市場には 鉄道の引き込み線が通っていたんだ。 遮断機跡と当時のプラットフォームの写真だ。

今も現役の青果置き場。 その屋根に目を向けると、いかにも駅のホームな形をしている。 当時はこんな車社会になると思っていなかったから、 鉄道を中心とした市場の設計がされていたんだ。

お次は「ハコバン」「ホーム下」などと呼ばれるエリア。 ここの天井に目を向けてみよう。太い鉄骨がぐにゃぐにゃに曲がっている! 実はこれ、太平洋戦争の際にアメリカ軍の空襲によって焼けただれたもの だそうだ。築地市場が戦争を乗り越えてきたタフな市場だとわかるね。 これを眺められるのも今のうちだ。

さあそしてここからがメインディッシュ 管理棟に上がる階段の下に、何やら金網に囲われた部分があるんだ。 良く見ると奥には階段が… そう。ここは一般立ち入り禁止の築地の地下空間につながっている! 今回特別に中に入る事を許されたのだ。 私も入るのは初めてだ…さあ行くぞ!

金網の扉を開け、鉄製の階段で地下に降りる。 この階段の下には、古いコンクリ製の階段が隠れている。 ここも築地市場の建設当時からあったという事だ… 階段を下りると、かなり頑丈な木の扉があって南京錠がかけられてる。 写真じゃわかりにくいが何とも怪しげな雰囲気だ…

案内人の石川さん、早く鍵を開けて早く鍵を開けて… え?どのカギかわからないって? 100本近くあるねそのホルダー! え?全部試す?おお、待ってますよ… あ、開いた!

おぉ~~~… ちょっとおどろおろどしい感じで、 実際ひんやりとしていて夏にはちょうどいいかな。 築地市場も防火扉やパネルで増改築を行ってきたが、 ここは木の扉と間仕切りで囲われている。本当に不思議な空間だ。

種明かしをしてしまうと、実はここは「防空壕」だったんだ。 先の鉄骨を溶かした空襲時に役に立ったのかは不明だが、 築地市場開場の1935年当時は、2年後には日中戦争がはじまる 相当キナ臭い時代だったという事だな。

しかしどうだい、このいかにも遺構というような雰囲気。 これは入った価値があるというもんだ。 今では資料庫として利用されている。 君も総務に入れば出入りできるかもな!

コンクリートの柱の太さは圧巻だ。 関東大震災を機に生まれた市場だから、相当頑丈に作られているのかな。 そういえばこの上をフォークリフトや巨大なトラックが 絶えず走っているはずだが、全く振動とかを感じない。 当時の建設技術に脱帽。

天井を見るとコンクリートに横線が走っている。 これは型枠の跡で、細い木の板を組み合わせたようだ。 ここが建設時から造られていた空間であることがわかる。 今はパネルで作るので、綺麗なコンクリ面が出来るが、 これはこれで味わいがあって好きだなあ。

ところで築地市場は、当時非常にモダンな施設として作られたんだ。 写真は管理棟だが、柱にあるアール面なんか 必ずしも必要でない上に職人の技術がいるもの。 洒落ていて良いものだと思うね。 それがなんと見えない地下室にもつくられているんだ。 設計者にも職人さんにも“粋”を感じるね。
※築地今昔第2回参照

今回は築地探検をしてみたが、どうだったかな。 地下室が面白かったので記事のほとんどを割いてしまったよ。 80余年人知れず存在してきた「築地の地下室」 もしかしたら初めて日の目を見たんじゃないかな。 良い記録になればと思うよ。 では、築地探偵団はここまで。 機会があればまた会おう!