SL見たさに出入り。何でも売れた戦後

宮澤

昭和10年に開場された築地市場ですが、
石川社長も小さい頃から
築地市場に出入りされていたようですね?

石川

父が東京中央青果のセリ人で
実家は築地市場の仲卸だったこともあり、
とにかくその頃、築地市場で現役だったSLが見たくて、
毎日のように市場に出入りしていました。
東京中央青果への就職は高校を卒業した昭和30年でした。
当然、入れてもらえると思っていたのですが、
復員で労働人口が増え、働き口がなくなりそうなことも
ありましたが、何とかコネで入れてもらえました(笑)。
すごいですね。

宮澤

石川社長が東京中央青果での勤務を始められたのは、
高度成長期真っただ中の、昭和30年頃でしたか?

石川

とにかく人口が増えて食料品が必要とされた時代で、
荷を引けば何でも売れました。
また、冷蔵庫がまだろくになく保管もできないので、
市場としても、イモ・タマ類以外はとにかく売ってしまえ
という時代でもありました。
取引はセリだけで、楽しい時代でしたね。
仕事は典型的な「見て覚えろ、盗んで覚えろ」の世界でした。

(つづきます)

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