サンプル販売を導入。全量セリで売り切り

宮澤

当時の築地市場の位置付けはどんなものでしたか?

石川

昭和30年代は全国に卸売市場が整備されつつありましたが、
集荷力が不足しているためか、築地からの転送も多く、
築地市場は都民への供給とともに、
全国の拠点としての機能も果たしていました。

宮澤

石川社長が現役時代に培った
取引のスタイルなどはありましたか?

石川

自分の配属は「地方蔬菜部」で、
関東以外の全ての道府県の蔬菜を扱っていました。
その中で、とくに珍しいものや促成物については、
シーズンの始めはまず促成部で取扱い、
その後出荷が増えてくると
地方蔬菜部での扱いに移行しました。

自分の営業の仕方は、地方の遠隔産地の商品は、
貨車やトラックである程度の量がまとまって入荷するので、
サンプル販売を導入するようになりました。
その頃は商品管理部(夜間の荷受や物流を担当する専門部署)
もなかったので、荷卸しからセリの準備から、
自分の担当商品については全部自分でやっていました。

ただ、取引は6時30分からのセリなので、その前から準備し、
売り切って、翌日の連絡などをして、
午後3時くらいには仕事が全部終わっていましたね。

(つづきます)

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