当時の東京市長・牛塚虎太郎氏による序文。

こちらはその英訳。その建築技術や設備が 「世界」に誇るべきものだったことが伺えます。

勝鬨側から見た全景図。6年の歳 月をかけて完成した直後の全景図。 用地面積は59,361坪で、これは 現代風に言えば東京ドーム4.2個分に相当します。

西の角、現在の鶏卵売場辺りから 見た外観と、南端の隅田川の桟橋 からの外観。

当時の輸送は貨物列車。場内に引き 込み線が入り、外周にはプラット フォームが。荷受場と売場の間も 当時は屋根はありませんでした。

今は会議室などに変わってしまっ た標本室と水産試験室。郵便局も 現在の場所とは違うようです。

現在のベジタブル館は当時はバナナ 発酵室。高級品だったバナナを 専門的に扱う、中央卸売市場最 大規模の施設でした。

朝日新聞社本社ビルの裏手にあった 築地川にかかる貨物列車用の鉄橋。 奥に見える2つの三角屋根が市場で す。

築地市場全体の配置図。赤で書かれているのが本書の写真の撮影場所です。 丸数字から短い線が引かれており、位置に加えて撮影の方角まで記録されています。 東京市長の序文にあるように、単なる記念の写真集ではなく、この最新の施設を撮影し、 広く世の中に紹介するためのものだということが良く分かります。

時計台の下から水神様を望みます。 水産売場も青果売場も三角形の屋根がハイカラです。

現在は旧時計台通りと呼ばれています。青果売場は 増築されて屋根はなくなり、駐車場になっています。

水産の売場の外周部、引き込み線のすぐ隣のプラッ トフォームです。

かつては柵で覆われた設備もありましたが、今は残 っておらず、柱がそのまま続いています。

事務棟の2階も今とは扉の位置、 窓の数など異なっており、改築の跡がうかがえます。

防災扉が設置されるなど、災害に対する備えも 81年の歴史の中で変わって行きました。

築地市場のかつてのシンボル・時計台。 晴れた日は新橋駅からも見えたそうです。

老朽化や腕時計の普及という時代の変化に伴い、そ の役目を終え、今では台座と「旧時計台通り」という 名前に痕跡が残っているのみです。

前方の丸い部分が派出所、後方が汚水ポンプ室です。 周りにガードレールがなく開けていることにも、 車社会以前という時代を感じます。

現在も基本的な造りはそのままに、 さらに後方に警備本部棟が増設されています。

全てはこの一冊から始まりました

実はこの「築地今昔アーカイブ」、始まりはこの「東京市中央卸売市場築地本場・建築圖集」の発見から始まりました。11月の移転後、これらの建物は取り壊されてしまいますが、何とか目に見える形で記録を残したい。そんな想いでいたところでこの本の存在を知り、それならこの開場時の記録とできるだけ同じ場所から撮り、81年の歴史の中での変化、今と昔との違いまで記録しよう。それが「築地今昔アーカイブ」のきっかけです。

全体の配置図を見ながら市場内を歩き回り、各写真とにらめっこしながら何度もアングルを調整し、撮影をしてきました。全くと言っていいほど変わらずに残っているもの、面影どころか影も形もないもの、様々でしたが、その1つ1つが築地市場81年の歴史です。その一端をここに記録します。そして場内を巡っていると色々な発見があり、疑問も浮かびます。それを掘り下げて行くのが「築地今昔アーカイブ」です。第3回は「築地探検隊 これって何…」を予定。ぜひ楽しみにお待ちください。

撮影・八木澤 芳彦 
文・小林 乙彦

次回の更新は8/25(木)を予定しております

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